所持品パンツ1枚だったぼくが幸せを掴もうと思ったきっかけ。

ストーリー

はじめまして、「しろ」っていいます。
「しろ」という名前でブログを書いてます。

うさんくささ満点の記事タイトルを書
いているお前はいったい誰なんだ。
きっとそうなっていると思うので、簡単に自己紹介をしますね。

あ、ちなみにどうしてパンツ1枚しか持っていなかったのかと、
記事の画像がなぜベッドなのかは詳しく下にまとめているので
気になった方は目次だけでも見ていってくださいね、結構面白いと思うので。

話を戻しまして、

ぼくはいま社員として働いていた会社でスポット勤務(代打みたいなもの)をしつつ、
ネットを中心とした個人事業主として生きていくため、日々学んでいます。

ネットビジネス歴は合計すれば半年くらいですかね。
2019年の春あたりから動画編集、アフィリエイト、せどりなど、
色々なものを取り組んではやめることを繰り返したのが大半なので
これといって誇れる実績はないですね。

さらに言えば、ちゃんとやり始めたのは2020年10月7日からなので、
真面目に取り組んだのはせいぜい2ヶ月くらいかな。

ちなみにネットビジネスのため、
合計で「50万円」ほど、自己投資をしました。

あたまおかしいのかと感じた方もいるかもしれませんね。
ちなみにそんなお金ないので分割払いで借金みたいなものです。

1年後には月収で自己投資分は出そうと思っているのであんまりやばいとは思ってないですね。

こういう考えを持ってるちょっといっちゃってる人です。
詳しく書く前にさらっと箇条書きでまとめるなら、

・寝ていても勝手にお金が入ってくる仕組みがあることを知っている。
・大半のYou Tube動画なら編集を真似できる。
・機械音痴な人でも初月10万円を稼がせる秘密を知っている。
・インターネットビジネスの具体的なアドバイスができる。
・本気で成功するために数十万のお金を学びにポンポン払う。
・Twitterのプロフィールを見ただけでその人に合ったアドバイスがすぐにできる。
・1つの商品で8億円を稼ぐ師匠、日給60万円を稼ぐ師匠からビジネスを学んでいる。
・なにもしなくても毎月勝手に100万円が入ってくる世界を知っている。
・凡人でも成功できることを知っている。
 …etc


これらすべてが僕の現実で、それらが当たり前という世界に居ます。
怪しすぎますよね、ぼくも怪しいと思っていました。ぶっちゃけね。

でもぼくも最初から信じていたわけではないんですよね。
元々お金は悪だと思ってましたし。働くとかあほのすること。

専業主夫という名のニートになる気まんまんでした。

でも、あるきっかけからこれらと巡り合ってしまったんですよね。
運命だって思ってます。勝手に。

そういえばあなたもぼくと巡り合ってしまいましたね。

せっかくなのでぼくが具体的になにを理念としているのか、
なにを目的にゴールとしているのかを簡単に説明しますね。

ぼくのコンセプトは
【言い訳バブルを壊して幸せを掴む】
という理念を掲げています。
のように溢れ出てくる言い訳壊す
行動×成長を成功への理念として掲げています。

そして幸せを掴む

これはある起業家の考え『成功者の4つの自由』から、
金銭的な自由
時間的な自由
精神的な自由
身体的な自由

この4つの自由を手に入れた状態を指します。

ではなぜ言い訳を壊した先にこの『成功者の4つの自由』があり、
それを幸せとぼくが定義するのか、理由はこの4つが密接に関わってるからです。

お金がなければ食べられません。生きるためにお金がいります。
ですが、お金を生むためには働かなければなりません。
そうすると働く必要が出てくるので時間が奪われ、精神がすり減っていきます。

ではお金があればどうか。

時間に余裕があるから好きなことが出来ます。
身体に気を使えるため健康に気を使えます。
自由な時間と健康な身体があれば心に余裕が生まれ
周りに優しくなれますし、自分に自信が持てます。

だからこそ、この幸せを掴むために毎日ぼくは自分に向かって
言い訳バブルを崩壊させろと言い続けているわけです。
実はこれ自分に対して叫んでいるんですよ。周りに強制しているわけじゃないんです。
もしあなたが共感してくれるなら、いいなって思っていただけるなら。

言い訳をせずに自然と行動出来る技術をあなたに継承します。


あ、余談ですけど、
ここまで読んで勘違いさせてるかもしれませんが、
ぼく自身は元々めんどくさがりの「お昼寝大好き人間」なんですよね。
努力!根性!積み上げ!気合!とか意識が高いことはあんまり思ってないんです。

ぼくは
正しい努力を必要なだけする。

こう考えていますし、これが本質だと思います。
ぼくがなにを伝えたいのか、よかったら考えてみてくださいね。
ぼくは人とお話するのが大好きなのでブログに書いていたことってなんなんですか!
とか連絡がもらえたら飛んで喜びます笑

さて、いよいよ本題に入っていくのですが、ここから先は

ぼくがどれだけの言い訳をしてきたか、隠さずにあなたに伝えます。

ベッドに横になりながらでも読んでみて下さい。
あなたの価値観、変わると思いますよ。誰でも変われるんだって。
そのきっかけがぼくだったらいいなって思ってます。


本気でね。

【前編】言い訳のバブル発泡開始

1 楽しかった小学校。ぼくのおとうさんは社長。

小学校の思い出は結構明るいですよね。
ただ、1年生の頃は月1ペースでうんちを漏らしていました。笑
トイレもまともに出来なかったんですよ。ぼく。

いまでもたまに危ないときがあります笑

それでもとくにいじめられることもなく、割とクラスの中心近くにいて、
毎日楽しく過ごしていました。定規をペンで弾いて机から落とし合って遊んだり。

4年生くらいでしょうか、父親が所属している会社から子会社として社長になったんですよね。

この頃は毎週末ちょっといいところでごはんを食べたり、
一戸建てを買って、地下にゲームセンターを作るぞ!なんて言われてました。
幸せでしたね。この頃は。

2 いじめを経験した中学校、父親は無職ニート。

中学校は近くの小学校とぼくの小学校2つから生徒が集まってました。
ここからぼくの言い訳がはじまります。
どれだけ言い訳をして逃げて逃げて逃げ続けたのか、よかったら読んでみて下さい。

1年生、小学校ではクラスの中心にいましたが、新しい環境に馴染めずに
大人しい子たちと隅っこで過ごす日々を送っていました。

ぼく物心ついたときからアトピー性皮膚炎を持っているんですよ、いまもですが。
それが酷くなっていったんですよね。しかも身長はクラスで1番低い。
格好のいじめの標的でした。

体操服をトイレの便器に入れられる。上靴を隠される。教室の窓を割った犯人に仕立て上げられる。
給食を食べる時は机をみんなでくっつけるのですが、ぼくだけは1人で食べていました。
あだ名はバイオハザードに出てくるモンスターの名前「リッカー」。
顔がケロイドのようになっていたからだそうです。

この頃はずっと自分を悪く言う周りが悪い、こんな身体に産んだ両親が悪い
ひたすら言い訳を繰り返していましたね。
そして2年生、ちょうどこのタイミングなんですよ、
父親が独立すると言い出して1年持たずに会社が倒産したのは。
しばらくは失業手当があったので父親は黙ってたから気づかなかったんですよね。

で、ですね。まあ、結局このいじめは卒業するまで終わりませんでしたね。
そうしてぼくは高校では変わってやると決意するんです。
それが人生の破滅へ導くんですけどね。

3 地元の高校に入学。勘違い野郎と自立神経失調症。食欲減衰と拒食症。

高校は地元のちょっと勉強ができれば入れるような可もなく不可もない場所でした。

で、ぼくは調子に乗ったんですよ。高校デビューですね。
具体的には入学式の日に同じクラスの男子全員に握手を求める。
タバコを吸っているとふかす。ワックスでベタベタなヘアセットで登校する。
最初から飛ばすやつはだいたい陰キャですよ、これ、豆知識です。

それでもなぜかモテたんですよ。最初はね。
入学1週間で彼女は出来るし、バス待ってたら逆ナンされるし、
彼女が居ると知っているにも関わらずクラスの子に告白はされるし。

今思うとこれがまずかった。これでさらに調子に乗った僕は
クラスの全女子と付き合うと男子たちの前で公言したんですよね。

結果は言わずもがな、最低な男。同じ中学校出身の人に卒業アルバムを持ってこさせて
こいつ高校デビューじゃんwwwきっもwww
未だに声が再生されます。

そしていじめがはじまりました。
歩いていると囲まれてボコボコ。トイレに呼び出されてボコボコ。
もちろんお弁当なんて教室で食べられません。荷物を持ってクラスに馴染めない子が駆け込む
保健室のような場所に毎日通っていました。が、食欲がないんですよ。
完全な拒食症。体重は40kgを切り、30kg台に。
体育の時間着替えているとカンボジアの子供みたいだと罵られていましたね。

そうしてなるべくして自立神経失調症も発症。
家でも何も食べない、お弁当も食べない。フラフラで学校へ向かうぼくを見て、
母親が転校を提案しました。それと同時に精神科もね。

でもぼくは高校デビューはだめだと教えなかった両親を憎んだ。
いじめてきた同級生を憎んだ、ここでも言い訳を続けます。

4 初めての転校とネトゲ廃人。父親との喧嘩で警察沙汰、母親が入院。

ぼくは通信制高校に転校します。
いくつかコースがあって、全日制、週4日、週2日、月2日。
ぼくは全日制を選びました。そして後悔をします。

全日制はヤンキーの溜まり場でした。
タバコ、酒、ケンカ、ギャンブル。なんでもありでした。
前の高校が草野球なら転校先はメジャーリーグです。

ここでもぼくは舐められたくなくて転校理由はタバコがバレて退学といいます。
そして校内ケンカトーナメントに参加させられました。
意識を失うまで殴られ続けました。それがきっかけで学校に行けなくなり留年します。
そして月2日のコースに切り替えました。

こうして夕方に起きて朝眠るネトゲ廃人生活がスタート。
この頃ペンというものを握った記憶はありません。
永遠にキャラクターの経験値を稼いでいました。気がついたらランキング上位です。

そんな息子を見て無職ニートの父親は面白くないわけですよ。
親子の殴り合いが起き、警察沙汰になります。

実はこの父親、ぼくが自分の思い通りに行動しないと母方の親戚の集まりだろうが
お墓参りの途中だろうが関係なくぼくを痛めつける父親でした。
父親との記憶はそれしかありません。

ぼくがこうなったのはすべて父親のせいだと言い訳します。

両者とも命に別状はありませんでしたが、父親とは別居することになりました。
そしてずっと我慢し続けてきた母親はついに倒れ入院。

家に1人になったぼくはどんどんネットの世界に入っていきます。

ぼくは壊れていきました。

5 心が壊れたぼくの音楽との出会い。親友と交わした美容師になる約束と夢の話。

月2日の学校以外は全てネトゲに時間を使うようになりました。
あとは派遣のバイトで課金代と、母親のご飯を食べたくないという理由で食費代を稼ぐ。
ネトゲとバイトしかしてませんでしたね。

そんなとき当時はやっていたニコニコ動画の歌ってみたを知ります。
その動画にボイストレーニングの広告を見つけます。

厨二病でV系バンドが大好きだったぼくはモテるだろという理由で
父親の会社員時代のツテで先生を紹介してもらいます。

これは学生時代でも少ない正解の1つでした。

初めて先生と会った時、「どうして歌を習いたいの」こう聞かれました。
ぼくは一言、「上手に歌を歌えたらなにか変わるかも知れないと思いました」こう答えました。
なにも考えず思ったことをそのまま言いました。結果は合格。
後から知りますが、何十人ものプロを送り出した界隈有名のトップトレーナーでした。

「きみはぼくが話している時、1度もぼくの目からきみは視線を離さなかった。だから教えようと思った。」

こう言われたことはいまも覚えています。
そしてぼくは音楽に救われます。とんでもない音痴ということも知ります。
月2日のコースから週4日のコースに変えると学校に伝えに行きます。

その中でKくんと出会います。彼もまた音楽が好きで、叔父が美容師でした。
そしてぼくが美容師を目指したきっかけ、学校祭。
仮装大賞でクラスの女の子がホストになると言い、ぼくにヘアセットを頼んできました。
1人は怖かったのでKくんも誘います。

結果は、準優勝。優勝は組織票でやられました笑
ですが、生まれて初めての経験をします。
その女の子が準優勝のスピーチで
「しろくんとKくんのおかげで準優勝できました。」
全校生徒から拍手を受けました。今までにない感覚でしたね。
こんな自分でもできることがある。Kくんをふと見ると目が合って、無言で頷きあい、
2人で美容師になるという約束、一緒に店を出すという夢の話をします。

6 専門学校は過呼吸の日々。1人で叶えた約束と最愛の叔父、最後の言葉。

美容専門学校に入ったぼくはまたイケイケの人たちの世界に入っていきます。
当然、孤立します。学んでないからです。また調子に乗ります。

クラスで孤立したぼくは学校に行きたくないという気持ちから過呼吸を起こすようになりました。

それでもクラスは違えどKくんと同じ学校だったので、必死に食らいつきます。
そして無事卒業しました。1人で。

Kくんは途中で挫折し、連絡がとれなくなりました。
ぼくが絶対に卒業すると決めたのは学校の費用をすべて父方の祖母が出してくれたからでした。
情けない息子で申し訳ないと、しろくんは自分の人生を生きてくださいと出してくれました。

卒業式が終わり、その足で連絡の取れないKくんの家にアポ無しで突撃。
スエット姿、ボサボサ頭のKくんに卒業証書を見せつけ。

「俺にも出来た。こんな俺でも出来た。だからお前も諦めんな」

すっごい臭いです。笑
そのときKくんは声をあげて泣いたそうです。

そして春から美容師というまさにそのとき、叔父の訃報。
子供を授からなかった叔父には一緒にゲームセンターに遊びに行ったり、
駄菓子屋に連れて行ってもらったりずっと可愛がられていました。

最後の言葉は「しろはだいじょぶだ」

この言葉をいまも胸に抱き続けています。

【中編】持ち物はパンツ1枚だけだった。

7 殺すが口癖の先輩美容師と1年半で終わった夢物語。ぼくはニートになった。

美容師になって初めてのお店は2階建て。地元では有名店でした。
もちろん指導は厳しいです。
帰宅は夜中の3時。お店に着くのは朝7時。
3時間睡眠。自由時間は朝の30分と寝る前の30分という生活が続きます。

物覚えが悪いぼくは1日中怒鳴られ続きます。それが脅迫に変わり、
次ミスったら殺すぞ。と毎日脅されるようになります。

3ヶ月目に入る直前、ぼくは円形脱毛症になっていました。
Kくんとの約束、夢を果たすため、祖母、叔父を裏切らないためでした。
ぼくは再び壊れはじめます。こうして美容師をやめます。

もちろん父親はいまだにニートです。母親は働けません。
ぼくが働くしか無い。偶然家の近くで個人店の美容室が開業。
アシスタントを募集しており、そこで1年と少し働きます。

ですがぼくの身体は限界でした。ベッドから起き上がれなくなります。
お店に謝罪をし、傷んだ背中と腰を気遣いながらリハビリをはじめます。

もうがんばりたくない。こうして再び半年ほどニートをしました。

ここでもぼくは美容室が悪い、働かない父親が悪いと言い訳を続けます。

8 アルバイト開始、契約社員に抜擢。必要とされる幸せを知った。

相変わらず父親は働きませんが、母親は退院しておりパートをはじめます。
その姿を見てたまたま目についたゲームデバッグのバイトに応募します。

その会社はいわゆるいじめられっ子、引きこもり、オタクといった方が大半を占めていました。

もちろんV系が好きでガチガチにヘアセットしたぼくは浮きまくります。
勝手に会社カーストの上位に押し上げられるわけです。
この環境なら勝てる。俺なら勝てる。勢いだけで仕事に打ち込み、
その姿から契約社員、案件の管理者に抜擢されます。実力もないのに。

これが間違いでした。

頼られるようになったぼくは仕事を楽しみ始めます。
最低時給800円ほどにも関わらず働き続け手当も併せて25万円近くを稼ぎます。
そして社畜となったぼくを手に入れようとしている存在が現れます。

9 部署異動と適応障害。休職となったぼくを襲った北海道胆振東部地震。

仕事で結果を残し、某大作RPGのクレジットにぼくの名前が載りました。
本名で検索するといまもなお引っかかるような状態です。
これが唯一自慢できるところかもしれません。

そしてその存在がぼくの元にやってきます。
その人はその支社の管理者、つまりトップでした。
「俺が持っていた案件が帰ってくる。引き継いでもらいたい」
そう言われましたが、ぼくは反対しました。3度直談判をします。
ですが、それも虚しく促されるままぼくはいままで以上に社畜になり再び壊れます。
診断名は適応障害、休職の指示、ドクターストップを経験します。

ちょうどその頃北海道胆振東部地震が発生します。

この頃親は弁護士を挟んでの離婚調停中。
適応障害、親の離婚、大地震、これからの生活、すべてがぼくを襲います。

ここでも言い訳をするわけです。
「ぼくは生きていてはいけない人間だ。神様がそう言っている」

10 自殺未遂者。医療保護入院で保護室行き、幅97cm,長さ195cmのぼくの世界。

思ってからはすぐでした。両親の離婚で母親と二人引っ越し。
その場でぼくは首を吊ります。もちろん母親は110番。
ぼくは医療保護入院で精神科閉鎖病棟の保護室に入れられます。

この中に入れていいものはいま履いているパンツ1枚。
所持品パンツ1枚とはこの保護室のことです。


携帯禁止、メガネ禁止、靴下禁止、ありとあらゆるものが禁止。
保護室にあるのは飲み物が置かれた机。寝るためのベッド。自分で流せないトイレ。
こうしてぼくの世界はベッドの「幅97cm,長さ195cm」になります。

保護室ってすごいんですよ。24時間カメラとマイクで全てを監視されます。
1日の楽しみは朝夜の歯磨きと3回の食事のみ。
それ以外はひたすら天井を見つめます。逆に頭おかしくなります。
詳しくは割愛しますが、ぼくは1か月半程度で退院します。

支えは叔父の最後の言葉でした。

ここでもまだぼくは父親と母親を憎んでいます。
言い訳は続きました。

11 会社へ復帰も職場で倒れ意識不明で救急搬送。会社で敷かれた”鉗口令”

医者から退院後1か月は働かないという約束付きで解放されます。

すると会社での一部始終を見ていた先輩から連絡が入ります。
「俺のところでよかったら少しずつ復帰するか?」
その先輩はぼくが逃げ出したと風潮されていたにも関わらず、
すべての責任は自分が取ると社員を説得していたのでした。

こうして復帰初日を迎えます。
なれない社会にぼくは就業中意識を失うように寝てしまいます。
ここで帰っておけば悲劇は起きませんでした。

心配する先輩を横目にぼくは無理やり最後までその日の仕事を続けました。
そして帰り際のエレベーター前。ぼくは意識を失います。

目を覚ますと病院でした。あとから聞きましたがぼくが倒れた事実は当事者1人1人に面接を行い
徹底して”鉗口令”(口封じ)が敷かれます。

結果として先輩は責任を取り、昇進のチャンスを棒に振ります。

これを発端にぼくは完全に壊れます。

12 解離性障害と歩行困難。生きるという戦い、再び精神科閉鎖病棟。

ここまででうつ病、自立神経失調、拒食症、適応障害と畳み掛けるように診断名が増えていくぼくに
新しい病名がつきます。病名は「解離性障害」、症状は一部記憶の欠損。会話が成り立たない。
1人でうまく歩けなくなるなどです。ぼくは当時の記憶がなかったので母親にあとから聞きました。

当然母親1人ではぼくの面倒を見きれないです。
再びぼくは精神科の閉鎖病棟に入ります。

入院してから数日たってからの記憶はありますが、
病院に向かう際は車椅子にずっと乗っていたそうです。
ただ前回と違うのは保護室ではないこと。
携帯の使用が許可されており、次第にぼくは人間の生活を取り戻します。

13 二度と帰ってくるな。人生の半分を病院で過ごした老人「ここが俺の墓場」

入院生活の中で1人のおじいちゃんに出会います。
みんなから愛されるマスコットキャラ的な人、あだ名は「たなさん」
入院理由は薬物使用でした。
「俺は死ぬまで出られない、ここが俺の墓場」そうぼくに言いました。
薬物の副作用で歯は完全に溶けていて聞き取りにくいですがこれだけは聞き取れました。
続けてこうも言いました。
「ここはきみの居る場所じゃない。きみは若い。まだやり直せる。二度と帰ってくるな」
その言葉に後押しされて2ヶ月ほどでぼくは再び社会に戻ります。

【後編】幸せを掴もうと思った。

14 寝ること以外は全て苦痛、持病は睡眠障害。知らなかった母親の苦悩

退院してからは毎週の診察にタクシーで向かう以外ベッドにずっと寝ていました。
再びぼくの世界は「幅97cm,長さ195cm」になりました。
すべての生物的欲求を失い、食欲、睡眠欲がなくついに性欲もなくなり、
眠って夢を見ている時間だけがぼくの唯一の幸せでした。

そしてぼくは夜中になにかが何度もぶつかる音を聞きます。

母親が何度も頭をタンスにぶつけて居たのでした。
父親を殺したいと伝えてから父親のニート、離婚、大地震、ぼくの2度の入院
母親は限界でした。それを隠して自殺未遂で入院した次の日母親は病院まで来てくれていたのです。

これ以上母親に頼れない。じゃあどうする。
選択肢は3つ
・死ぬまで病院にいる
・グループホームにはいる
・家を出て母親の前から消えてホームレス
ぼくは4つ目の選択肢をとろうと考えます。

15 将来の夢はヒモ。可哀相でしょ?彼女になって支えろよ。ゴミ人間爆誕。

ここまで来てもまだ自分がこうなったのは環境のせいだと言い訳をします。

毎日家で寝て暮らしていきたい、じゃあどうするか。
適当に彼女を作ってヒモとして養ってもらおうとします。

そこからは学生時代、ネトゲ時代、会社員時代、あらゆる知り合いの女性に声をかけます。
そして1人の看護師と付き合うことになります。
ぼくの過去を全て曝け出しました。

彼女は「それでもいい。しろくんのお母さんもしろくんも私が守る」そう言いました。

ですが、ぼくの病状は悪化していきます。
1週間に5回の救急搬送をされます。

彼女は次第に疲弊していき、
「弱くてごめんね」一言だけ残して去っていきました。

こうしてぼくは再び1人になり、本物の廃人になります。
この世界が悪いと言い訳を残して。

16 知った抜け道。億を稼ぐマーケター。彼が歩く道を探した。

廃人になってからはまともに食事もとらず、シャワーも1人で浴びれず
1日の半分を睡眠。半分はYou Tubeを見るという生活をしていました。
当時は東海オンエアさん、KTGさん、ヒカルさん、ポッキーさんといった方の動画を見ていましたね。

そしてYou Tubeなら見れる、なら動画編集なら出来るのでは?と急いで教材を購入。

結果的に教材費の回収で動画編集は終了しました。
低単価で長時間作業のセルフブラックでまたぼくの世界は「幅97cm,長さ195cm」になりました。

それからまた数カ月後、
ある日ぼくはヒカルさんが昔情報商材のネットビジネスをしていることを知り、
「ヒカル ネットビジネス」というような形でGoogle検索をします。
時間帯としては大体朝の3時あたりです。結論から言うと、

きっかけはここでした。

とある方のブログを見つけます。
内容は有名人は意図して作られており、プロデューサーが裏にいるという内容。
へ~と思いつつ読む。おもしろい。文字が読めないぼくが読む。おもしろい。他の記事を探す。

お弁当箱だけで1か月50万円以上稼いだ!?

衝撃だった。けど同じように怪しいと思いつつ読む。真実のようだった。
気がつけば掲載されている記事をぐるっと1週。メルマガに登録していた。

すぐに返信。へー動画もあるんだ。見る。そして読む。面白すぎる。
勉強になるではない。面白いのだ。内容はビジネスの話。だが面白いが1番に来る。

続きが見たい。えーと、毎日8時に配信?時計を見る。もう日が登っていた。
これなら8時まで起きていよう!読んでいない記事はないか探しまくる。
同じ名前でTwitterやってないかな?見つけた!動画編集で使っていたアカウントでフォローする。

そうこうしていると朝の8時になった。メールボックスを見る。

来ていない。

ぼくはすかさずTwitterのDMを送る。

2020年9月28日 朝9時18分
突然のDM失礼致します。
先日○○さんのコミュニティ△△へ××という名前で参加し、
第1回の案内を頂き、 その中で次回講義は明日20時との記載がありましたが
メールが届いてない状況となります。LINEも同様に同じ名前で友達申請しております。
つきましては、 受信設定などの必要があればご教示頂ければ幸いです。
お手数お掛け致しますが、 お手隙の際にご確認頂けますと幸いです。

30分後に返信。

回答としては、
定時配信は朝8時ではなく、夜20時とのこと。
自分で20時と記載しながら朝8時に届かないと質問。

午前と午後の違いが分からない完全にやばいやつが爆誕した。

今思うと本当にやばい人だと思うが、それだけ魅了されていたのであろう。
ブログの記事だけで催眠術にかかったかのように気がついたらメルマガを登録していた。

こうして毎日20時に時間を作り動画を見て、文章を読んで勉強していく。
どうやら職種的にはマーケターというらしい。
マーケティングという手法で市場を調査し、商品をプロデュースすることらしい。

その人は1つの商品で8億を売り上げたというのだから頭に雷が落ちた。
しかも自身を凡人と語っているのだ。

ぼくは思った。マーケターなら人生を変えられるかもしれない。
これはぼくが成功するための抜け道なのかもしれない。

こうして最後の教材案内が来た時、ぼくは決心をしていた。

2020年10月7日 ぼくはマーケターとしての道を歩き始めた。

休職をしてから2年が経っていた。

言い訳をやめることを決断するのに2年。
いや、
正確には20年近くかかっていた。

そしていま、2020年も残すところ約1か月。
この2ヶ月近くでぼくが作ったものがひとつだけある。
自信を持ってネット上に公開できるものだ。

つくったものはコンセプト。ぼくの理念。

【言い訳バブルを壊して幸せを掴む】

ぼくは言い訳をすることをやめた。

最後に『ここまで読んでくれたあなたにぼくがいま伝えたいこと』

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
この記事は丸2日かけて作りました。

ちなみにいま書いているこの部分、時刻は朝の7時。
会社から21時頃に帰宅してから寝ずにそのまま書き続けております。
さすがに書き終わったら寝ようかなって思ってます、倒れちゃうので。

いかがでしたでしょうか。
どれだけぼくが言い訳を続け、逃げ続けたのか。おわかり頂けましたでしょうか。

もちろん、ぼくよりもさらに多くの経験をしている方がいることをぼくは知っています。
ぼくがしたいのは頑張ったね、偉かったねと頭をなでてもらい、承認欲求を満たすことではないです。

ぼくのような人間でも変わることが出来るという事実を伝えたいのです。

ぼくは師匠のように魔法のような文章は書けませんし、
ここまで何人の方が読み続けてくれるのかなんて分かりません。
本心では1人もここまで読み続けてくれないだろうなと思っています。

でもあなたはここまでぼくの物語を読んでくださいました。
なにか感じたこと、思ったことはなかったでしょうか?
よかったら感想を送って頂けたら嬉しいです。
もちろんあなたの素直な感想でいいです。
読みにくい、不幸アピール、自虐ネタ、なんでも受け止めます。
自分のライティング能力の無さを言い訳にはしませんので。

もうそろそろ眠気と疲労で意識が飛びそうなのでここで終わりますね。

あなたの人生が少しでも前向きになることを心から祈っております。

しろ。

いまなにをすればいいかわからない、
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